おまけ  『文明の遊戯史 第六章 近現代の遊戯〜都市伝説編〜』より一部抜粋  ┌─────────────────────────────────────────┐ │ わたしが「魔女のゲーム」のことを知ったのは、まったくの偶然だった。 │ │ 新しいゲームのヒントを求めて、わたしは一人旅をしていた。 │ │ 山間を歩いていたわたしは、自分の位置がわからなくなってしまった。こうなると、地図も│ │役に立たない。 │ │ ――歩いていたら、そのうちなんとかなるだろう。いざとなったら、野宿すればいい。 │ │ 気楽な旅だったので、わたしは歩き続けた。 │ │ 山の日暮れは早い。あたりが暗くなると、さすがに不安になってきた。 │ │ そんなとき、あたりの様子が変わったことに気づいた。 │ │ 土の道が、石畳に変わっている。その両脇には、小さな家が並んでいる。 │ │ 家の壁も屋根も、石を積み上げたり重ねたりして造られている。家を囲む塀も、石垣だ。 │ │ 助かったという安心感は、すぐに消えた。夜なのに、どの家にも灯りがともっていないのだ。│ │ ――廃村なのか? │ │ 道を少し外れたところには、干上がった川。立派な石の橋が架かっているが、雑草が生い茂│ │っている。 │ │「誰か、いませんか?」 │ │ わたしの声は、石の壁で反響する。 │ │ 人の姿を求めて、わたしは村の中をさまよった。 │ │ ――流行病で、住人は死に絶えたのだろうか?  │ │ 目に見えないウイルスが漂っている――そんな恐怖が、わたしを襲う。 │ │ すると、闇の中に小さな灯りが見えた。一件の家から、ランプの灯りが漏れている。。 │ │ ――人がいる! │ │ わたしは、誘蛾灯に誘われる虫のように、その家を目指した。 │ │「すみません、道に迷いました! 助けてくれませんか!」 │ │ 手が痛くなるまで、木の扉を叩く。 │ │ しばらくして、扉が開いた。老婆が、立っている。かなりの高齢だろう。腰は曲がり、扉を│ │持った手は枯れ木のように痩せている。 │ │「あの、道に迷って――」 │ │ 話し出したわたしの言葉を聞きもせず、老婆が口を開いた。歯のない、洞穴のような口から、│ │空気が漏れるような声がする。 │ │「どうぞ、中へ」 │ │ わたしを、家の中に招き入れる。 │ │ 椅子とテーブルが置かれた、狭い部屋だ。テーブルの上には、ランプと、幾何学模様の描か│ │れたボード、サイコロが置かれている。 │ │ 老婆は、わたしの方を見もせずに椅子に座り、サイコロを持った。そして、サイコロを振る│ │と、ボードの上にある色のついた石を動かす。石は五個あり、それぞれ、赤、青、緑、黄、ピ│ │ンクに塗られている。 │ │「あの……」 │ │ 声をかけるが、老婆は返事をしない。サイコロを振り続ける。 │ │ わたしは、勝手にすることにした。老婆の向かいの椅子に座り、荷物から食料を出し食べる。│ │「あなたも食べませんか?」 │ │ わたしは、老婆にパンを差し出す。首を横に振る老婆。食べることより、サイコロを振って│ │石を動かすことに夢中のようだ。 │ │ ――何かゲームをしているようだが、なんのゲームだろう? │ │ 幾何学模様の描かれた板がゲーム板だとしたら、見たことのないものだ。 │ │ 老婆がサイコロを振り、出た目の数を見て石を動かす。何か法則があるのだろうが、どれだ│ │け見ていてもわからなかった。 │ │ わたしは、パンを囓りながら部屋を見回す。少ない家具に、寒々した空気。石の壁には、絵│ │の一つも飾ってない。生活感のない部屋だ。 │ │ 灯りはランプの光だけなので、フィルターがかかったかのように、室内は薄暗い。 │ │ ――あれ……? この感じ……。何度も体験しているような気がする。 │ │ そんなことを考えていたら、不意に老婆が話しかけてきた。 │ │「何をしに、この村へ?」 │ │ 老婆が口を開いたことに驚きながらも、わたしは一人旅をしていること、職業はゲームクリ│ │エイターであることなどを話した。 │ │「さっきから気になっていたのですが、あなたのやってるのはボードゲームですよね?」 │ │ わたしの質問に、老婆が微かにうなずいた。 │ │「なんというゲームなんですか?」 │ │「名前はない。ただ、この種類のゲームを、わしらは『魔女のゲーム』」と呼んでいる」 │ │ 歯のない口から、魔女のゲームという言葉が漏れる。聞いたことのない名前だ。 │ │「あの……魔女のゲームについて、いろいろ教えてもらえませんか?」 │ │ わたしは、興味を押さえきれず、訊いた。 │ │「知ってどうする?」 │ │ サイコロを持った老婆の手が止まる。 │ │「わたしは、ゲームクリエイターです。わたしも、魔女のゲームを作りたいと思って――。」│ │ すると、老婆の皺だらけの顔が、クシャリとゆがむ。笑っているのか、べそをかいているの│ │か――なんとも言えない表情だ。 │ │ わたしは、ゲームボードを見る。 │ │ 幾何学模様が複雑に描かれている。その中でもよくわかる二つの正方形――中に『π』の文│ │字。もし、これが双六のようなゲームなら、『π』がスタートとゴールを表しているのだろう。│ │ そして、色分けされた五個の石。 │ │ 一つが老婆――プレイヤーのものだとして、他の石は、いったい何を表しているのか? │ │ そして、不思議なことに、ボードの上だけ白い靄がかかっているように見える。何か、靄を│ │発生させるような仕掛けがあるのだろうか? │ │ わからないことが多すぎる。 │ │ なのに、ゲームボードから目が離せない。それは、『立ち入り禁止』の看板を前にしたとき、│ │心のどこかで入ってみたいと思ってしまう――そんな気持ちに似ているように思えた。 │ │「教えていただけませんか」 │ │ わたしは、頭を下げる。。 │ │ サイコロを振る老婆。その様子は、話すか話さないか、迷っているようだ。 │ │「聞いても無駄だ」 │ │ しばらくして、老婆がボソリと言った。 │ │「魔女のゲームは、作ろうとしても作れない。だから、聞いても無駄だ」 │ │「どうして作れないんですか?」 │ │「二つ、条件がある」 │ │ 老婆が、枯れた小枝のような指を伸ばす。 │ │「まず、内容が普通のゲームでは駄目だ。現実と夢の境界を曖昧にしてしまうようなものでは│ │ないと、魔女のゲームとは呼べない」 │ │ 現実と夢の境界を曖昧にするようなゲーム……? ゲームは楽しく遊べればいいと思ってい│ │たわたしには、想像もできない内容だ。  │ │「そして、『アナミナティ』だ」 │ │「なんですか、それは?」 │ │ 聞き返すと、老婆は、困ったように首を横に振った。 │ │「説明はできない。アナミナティは、アナミナティだ。それ以外、言いようがない」 │ │「……」 │ │「アナミナティがないと、魔女のゲームとは呼べない。そして、アナミナティは、人間には作│ │れない」 │ │ 老婆が、わたしに哀れみの目を向ける。 │ │「聞いても無駄だという意味が、わかったか」 │ │「でも……アナミナティがあれば、魔女のゲームは作れるんですよね。どこにいけば、アナミ│ │ナティは手に入るんですか?」 │ │「……」 │ │「そもそも、人間が作ったんじゃないのなら、誰が作ったんですか?」 │ │「……」 │ │ 老婆は、首を横に振るばかり。 │ │ それは、何も知らないと言っているようにも、話しすぎたと後悔しているようにも見えた。│ │ わたしは、アナミナティについて訊くのをあきらめ、老婆の前のゲームボードを指さす。 │ │「この魔女のゲームにも、アナミナティは使われているんですよね? いったい、どの部分が│ │アナミナティなんですか?」 │ │ すると老婆は、手のひらに載せたサイコロを、ぼくに見せる。指でつまみ、ランプの灯りで│ │観察する。 │ │ 一辺が三センチぐらいの正四面体。材質は、ヤギの骨だろうか。 │ │ それぞれの面には、「1」から「4」までを表す点が彫られているはずだ。なのに、老婆が│ │使っているサイコロは、すべての面が「1」なのだ。 │ │ ――これが、アナミナティ……? │ │ わたしには、ただの不良品のサイコロにしか見えなかった。 │ │ 老婆は、わたしの手からサイコロを奪うと、また一心不乱に転がす。 │ │ ――何度やっても「1」しか出ないサイコロ。こんなものを使っても、ゲームにならない。│ │いったい老婆は、何を考えて石を動かしているのか? │ │ 老婆が、サイコロを転がす。 │ │ やはり、出る目は「1」。老婆は慣れた手つきで石を移動させる。次に出た目も「1」。老婆│ │は、さっきと違う数だけ石を移動させた。 │ │ ――あれ……? │ │ わたしは、転がったサイコロを見る。一個のサイコロが、二重三重にブレて重なって見える。│ │ ――これは、部屋が薄暗いからなのか? それとも、ボードを包んでいる白い靄のせいなの│ │か? │ │ そして、ブレて重なった分、面に彫られた点の数が増える。老婆は、その数を見て、石を動│ │かしていたのだ。 │ │ ――でも、どうして、サイコロがいくつも見えるんだろう? │ │ 考えているうちに、妙なことを思いつく。 │ │ ――ひょっとして、このゲームボードの上は、時間の流れが異なっているのではないか。一│ │分前に振られたサイコロ、二分前に振られたサイコロ……一時間前に振られたサイコロ、何日│ │も前に振られたサイコロ……。それらが、同時に出現しているから、ブレて重なって見えてい│ │る……。 │ │ 不意に、老婆が顔を上げる。 │ │「あんたも、見えてきたのかい?」 │ │ 呪文のような響き。 │ │ わたしは、無言でうなずく。 │ │「そうか、そうか……」 │ │ 立ち上がる老婆。棚から予備のランプを持ってくると、火を入れた。 │ │「あんたも、魔女のゲームをやってごらん。大丈夫、ゲームボードもサイコロも、他の家にあ│ │るから」 │ │「……」 │ │「早く『7』が出ることを願ってるよ」 │ │ 老婆が、わたしにランプを持たせる。 │ │「7が出たら、どうなるんですか?」 │ │ わたしは訊いた。 │ │「ステージクリア――“上がり”。違うステージに行くんだよ」 │ │ ――上がり? 違うステージ? │ │ 質問する前に、老婆が、わたしの背中を押して家から追い出す。 │ │ わたしは、ランプを片手に、他の家に行くしかなかった。 │ │ いくつかの家をまわる。どれも、老婆の家と同じような造り。部屋の中央にテーブルが置か│ │れ、魔女のゲームが置かれているところまで同じだった。 │ │ 違っているのは、人がいないこと。 │ │ わたしには、誰もいない理由が、なんとなくわかっていた。 │ │ ――みんな、ステージクリアしたんだ。そして、違うステージに行ったんだ。 │ │ 違うステージが、どこにあるのか? どんなところなのか? そんなことは、わからない。│ │でも、村の人たちは、ステージクリアして行ってしまったんだ。 │ │ そして、たった一人残された老婆も、ステージをクリアするためにサイコロを振り続けてい│ │る。 │ │「……」 │ │ 一軒の家で、わたしはテーブルに着く。テーブルには、ゲームボードとサイコロ、五個の石。│ │ わたしは、サイコロを持ち、振ろうとした。 │ │ そのとき――。 │ │ 不意に、崖から突き落とされたような恐怖が、わたしを襲う。 │ │「うわぁぁあ!」 │ │ 叫び声を上げ、サイコロを壁に投げつける。 │ │「うわぁぁあ!」 │ │ テーブルを蹴散らし、ランプを持つのも忘れ、わたしは家の外に転がり出る。 │ │ 恐怖に包まれたわたしは、まともに考えることができない。声にならない悲鳴を上げ村の道│ │を走る。 │ │ 真っ暗な村。つまずいて転んだり、石の壁にぶつけたり――わたしの体は傷だらけになった。│ │でも、走るのをやめることができない。 │ │ ――逃げろ、逃げるんだ! │ │ それ以上のことは、考えられない。とにかく、村から逃げるんだ。 │ │ │ │ 気がついたら、わたしは森の中に倒れていた。 │ │ いつの間にか夜が明けている。木々の間から、鳥の鳴き声が聞こえる。 │ │ 体を起こそうとして、うめき声をあげた。どうやら、右の足首を捻挫しているようだ。それ│ │以外にも、いろんなところを怪我している。服も破れ、血がにじんでいる。 │ │ ――でも、助かったんだ……。 │ │ わたしは、ゆっくり体を横たえる。 │ │ ――大丈夫、大丈夫……。  │ │ 何度も言い聞かせ、わたしは眠った。 │ │ │ │ その後、なんとか人里にたどり着き、日常に戻ることができた。 │ │ 仕事をし、友人と遊び、家族と笑いあう――そんな現実を送りながら、わたしは魔女のゲー│ │ムを忘れることができなかった。 │ │ そして三年が過ぎた頃、わたしは、もう一度村を訪れてみようと思った。 │ │ │ │ (『文明の遊戯史 第六章 近現代の遊戯〜都市伝説編〜』より一部抜粋)│ └─────────────────────────────────────────┘